「当たり前のようにできる」は才能の一つ

当たり前が出来ないことでそう思った。

要点
  • 「当たり前のようにできること」は人それぞれ違う
  • 当たり前のことは誰かにとってはすごいこと
  • 他人を見て「もっとこうすれば」と思うことは、才能のヒントかもしれない

身近にある当たり前

例えばこんな当たり前がある。

  • 当たり前のように、雑談できる
  • 当たり前のように、要点をまとめられる
  • 当たり前のように、本を読める
  • 当たり前のように、早く走れる
  • 当たり前のように、歩くことが出来る
  • 当たり前のように、料理を作れる

人によって、それは当たり前すぎるとか、それはできないとかあると思う。

才能とは

物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。「音楽の才能に恵まれる」「才能を伸ばす」「豊かな才能がある」「才能教育」

出典:デジタル大辞泉

巧みであるかどうかは相対的な話なので、おそらく、
多くの人が持っている生まれつきの能力は「普通」と呼ばれる。
多くの人が持っていない生まれつきの能力は「才能」と呼ばれる。

でも、ミクロで見たら普通なんて無い。
自分にとってあなたのそれが「普通」と見えるか「才能」と見えるかだ。
どこかの誰かにとっては「才能」じゃないか?と思う。

そう思う理由

というのも、先日自分に出来ることと出来ないことを肌身で感じた出来事があった。

自分にはトーク力が無い。
自分は雑談が苦手だ。
雑談が当たり前にできない。

だから、粗治療的にツイキャスで生配信してみた。慣れかなと思って。
→結果、全然上手く話せなかった。
テーマが無いと話せないからゲーム配信にしたけど、ほぼ無言だった。

もっとみんなが参加し易いものは面白いと思って、共同お絵かきでも配信してみた。
→うまく話せなかった。

本で雑談のコツ的なのを理解して、やってみた。
→用意した内容が尽きるとそこからうまく話せなかった

他の配信者の話し方を真似して話題とか間とかを作ってやってみた。
→意味のある話を探してしまう時点で、うまく真似することができなかった。

雑談がうまくできないことを相談すると、どうもできないことが不思議らしい。
やり方を言語化してほしいと思ったけどなぜか前提が噛み合わない。
他の人は「当たり前にできる」と分かった。
だから、言語化できない。

逆の発見もあった。

配信枠で話すネタがあまり無いと思っていたが、周りから見ると十分あるらしい。
他の人とは違う何かがたくさんあるらしい。
確かに、なにか説明すると面白がられることはある。
でも自分にとっては当たり前のこと。なにが心に刺さるのかよくわからない。
自分が「当たり前にできる」ことも、言語化するのが難しいと分かった。

結論

人それぞれ当たり前のように出来ることと、そうではないことがある。
当たり前のように出来るというのは、誰かにとってはすごいことではないか?
「こうすればいいのに…」と思うことは、自分の才能を見つけるヒントかもしれない。